1年遅れのTOKYO2020を終えて

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国際日本文化研究センター教授 牛村 圭

 2年前の5月、令和の御代が船出した時、誰もが翌夏には56年ぶりに首都東京でオリンピックを迎えて開催することになると信じて疑わなかった。新帝がオリンピック開会を新国立競技場で宣言するという、内外に新しい日本の幕開けを見せるに相応しい場となろうと予想したであろう。だが、思いもかけない展開が待ち受けていた。COVID-19の蔓延という世情に鑑みて、TOKYO2020の名称のまま開催は1年延期となった。オリンピックとパラリンピックを安全に実施できる状況を導くために出されていたはずの「緊急事態」の宣言は解除されることなく、諸制約継続のなか、競技場へ観客を入れずにスポーツの祭典が開かれる決定を見た。
 オリンピックも、そしてパラリンピックも既に幕を閉じた。新たな感染症との闘いの渦中で挙行されたオリンピック&パラリンピックという事実が、こうして歴史の一部となり史書に残る。国民の生命を預かる政治家の諸施策は当を得ていたのか、医療体制充実の有効な他策はなかったのか、などの諸問題は、時を経たのち後世史家の冷静な検証の手に委ねられることを願う。
 以下本稿では、開催前から閉幕までの間に思いを巡らせた諸々のことを、自らの備忘も兼ねて綴ってみたく思う。「アスリート・ファースト」を考える カタカナ語を多用する都知事が広めた語の1つが「アスリート・ファースト」だろう。競技者のことを優先的に考え、最高のパフォーマンスを披露できるような競技環境を作ろう、という意で用いられたと思う。選手村の部屋が狭い、段ボールでできたベッドの快適さが劣る、といった海外選手の感想を捉えて「アスリート・ファースト」ではなかったのか?と日本の「おもてなし」具合を糾弾する向きが国内の報道にも散見されたが、これは「アスリート・ファースト」の勘違いだろう。もとよりベッドの寝心地は良いに越したことはないが、「アスリート・ファースト」とは最上級の物理的おもてなしを提供することではない。肝要なのは、何よりも競技環境を最良・最善のものにするよう努めることではないのか。
 この視点に立つ時、看過できない事態をニュースの報道で知った。オリンピック開催前になるが、開催反対派が、派遣選手最終決定の場を兼ねる陸上競技日本選手権が挙行されている新国立競技場周辺で反対の狼煙を上げていたのである。開催反対ならばJOC(日本オリンピック委員会)や政府に向かっての反対デモ行進に集中すればよい。だが最終選考会が開かれていると承知しているが故に、競技場周辺を抗議の場に選んだのだった。