「ジェノサイド」及び「人道に対する罪」に認定されたウイグルの現状について

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日本ウイグル協会副会長 レテプ・アフメット

 皆さん、こんにちは。日本ウイグル協会のアフメットと申します。本日は国際情勢及び日本の未来に特に関心を持って様々な分野で活躍している方々がお集まりの場で、ウイグルの状況について発言する機会をいただき、心より感謝申し上げます。
 ウイグルの状況に関しては、ここ数年大きな国際問題になりつつあり、何かしらの情報を得ている方もおられるかと思いますが、その多くが断片的な情報です。
 本日は時間の許す限り全体像が分かるように、今ウイグルで中国共産党が何をしているのか、入手した写真等も併せ、お話したいと思います。
 
独自の文化を保ってきたウイグル
 まず、本題に入る前に主な背景について触れたいと思います。今の中国共産党政権が私達の国「東トルキスタン」を手にしたのが70年前(1949年)です。それ以前の歴史を見ると、ウイグルが最初に中国と関係を持ち始めたのは18世紀後半です。当時中国を支配していたのは300年余続いた清王朝、つまり満州人でした。彼らは、中国を支配下に置いた後に周辺地域を次から次へと支配下に置いていくのですが、その一環として私たちの国も清王朝の支配下に置かれました。武装抵抗が繰り返し起きて独立を取り戻した時期もありましたが、最終的には清王朝の支配が続いたというのが歴史的背景です。1884年に「新疆省」という行政区分が設けられ、「新しく手にした土地」という意味の「新疆」という呼称が私たちの国に付けられ現在に至っています。
 その後、清が倒れた後に再び独立を取り戻そうとする動きがあり、1933年と44年の2回独立を宣言しましたが、当時東トルキスタンの周辺地域、中央アジア地域を支配下に置いていたソ連の軍事介入によって潰され、ウイグルは中国共産党の手に渡ってしまいました。
 一方、70年前に中国共産党がウイグルに入ってくるのですが、当時ウイグルに暮らす中国人は数%で、それも軍人とその家族が中心でした。一般市民は殆どいませんでした。それまでウイグルで暮らしていた人々は、どこからどう見ても中国人とは別世界の人々、全く異なる歴史、言語、文化、生活習慣を持った人々でした。
 中国共産党は1949年にウイグルに入って来て以来、70年かけて大規模な移民政策を実施し、今では中国人の人口が半数を超え、ウイグル人の人口を上回る勢いで増加しています。中国人が増えれば増えるほどウイグル人の生活空間が奪われていき、独自の文化、言語、生活習慣、伝統が次々に排除されていきます。