中国によるモンゴル人ジェノサイド
―過去・現在―

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静岡大学教 楊海英

 本日は貴重な機会をいただきましてありがとうございます。私は「中国によるモンゴル人ジェノサイド―過去・現在―」と題して、中国の人道に対する犯罪を、その歴史特に日本との関連でご報告申し上げたいと思います。
 ジェノサイドの定義については、先程アフメットさんが既に示されましたが、念のため1948年12月9日国連総会で採択された定義についてお話致します(資料1)。研究者は長年この定義を使ってきました。新疆ウイグル自治区と全く同じで、内モンゴル自治区、或いは南モンゴル(私達モンゴル人は南モンゴルと言う)での中国による人道に対する犯罪はすべてこれに合致します。この経緯に沿って何が行われてきたかをご報告致します。
 
地図で見るモンゴル
 まず、モンゴルはどこか。基本的には、万里の長城の北側は全てモンゴルです。モンゴルは中国の自治区でも少数民族でもありません。中国の自治区になったのは1949年以降の話であって、それ以前は全く別の世界がありました。モンゴル人はウイグル人やチベット人と同じく、文明的にも文化的にもユーラシアの一員であり、中国の一員ではないのです。
 ある日本の高校教科書が「15世紀前半のアジア」という地図を載せているのですが、その中では中国を「明(ミン)」と書いています。当時「アジア」というのはありません。私が1980年代後半に来日した当時、日本人は、自分達はアジア人ではないと主張していました。忘れないで下さい、ご自分達の歴史を。
 先程ペマ先生が仰ったように、チベット・南モンゴル・ウイグルを除いた地域が本当の中国です。今のような壮大な中国ではありません。明は、万里の長城の南側にありました。
 明の北側には韃靼(ダッタン)や瓦刺(オイラト)がありました。皆さんも韃靼は読めるでしょうが、瓦刺を「オイラト」とは読めないでしょう。これらは中国の漢字で周辺国を表現したときの差別用語です。その南にウイグルがあります。日本人は未だに学校の教科書で中国式の表現を通して世界を理解し、ユーラシアを理解しています。このような教育を受けていたら、精神的には我々以上に中国の奴隷にされているということです。我々は自分達のことを瓦刺とは書きません。「オ・・・・イラト」とは、つまり「西モンゴル」のことです。当時はその南にあるウイグルと一緒だったので、ウイグルと我々は15世紀以前から一緒にいる兄弟の関係なのです。