田北:中国の民族弾圧では日本国内にも問題があると思います。先の国会で、中国による人権弾圧を非難する決議が採択されなかったというのも、国民から国や政治家に対する突き上げが不十分だったからではないかと思っています。この点について、本日ご講演された皆様はそれぞれどのようにお考えでしょうか。
まず、楊海英先生、お願いします。
楊:日本国内の動きが非常に重い、政治の世界が牛歩戦術のように遅いことはひしひしと感じます。その理由は、政治が国民の声や心情と大きく乖離している点にあると思います。教育の現場に立つ人間として、私は学生やその保護者達とお付き合いしています。対中非難決議がされなかったのは、公明党が難色を示したからですが、同党の支持母体である創価学会の方々が本当に政党の思想を支持しているかというと、そうでもない部分もあります。私の大学にも創価学会の会員を親に持つ学生がおります。子供は自動的に2世3世となりますが、彼らは人権問題はきちんと対応すべきだという認識を持っていますし、その他の会員にも同様の認識でいる人もいるとのことです。
また、自民党のある議員が人権問題には興味がないと発言したことが報道されましたが、何故日本の特定の政党や政治家、知識人までもが中国に対してこれ程までに配慮するのか。私はこれには日本人の近代の経験が、日本人の背中に重石(おもし)として乗っかっているからだと思います。
この重石は2つあります。1つは中国に対する贖罪意識です。このせいで日本人は、中国は何をやっても良い、中国は正しいのだ、と考えるようになってしまい、中国の行動を見て見ぬふりをしてきました。ですが、中国が悪いことをしたらそれを指摘しなくてはなりません。贖罪意識というものは、そのような形で表れるものではないのです。贖罪意識を持っているから、中国のジェノサイド(集団殺害)を放置している、というのは自分の子供が悪いことをしている時に躾(しつけ)をしないことと同じことです。70年以上も前の戦争のことを日本人はきちんと反省しましたし、膨大な金銭でもって賠償金も支払ってきました。それにも拘わらず、まだ精神的に贖罪意識に束縛されて身動きが取れないというのは、最終的には日本に危害が及ぶこととなります。日本が未だに贖罪意識に束縛されている国であることを分かっているから、中国は尖閣諸島だけでなく大和堆や小笠原諸島にもやって来るのです。東京都内でもやりたい放題です。
2つ目は、漢民族の民族性です。ウイグルやチベットの方々も同じご経験をしていると思いますが、漢民族の民族性というものは平たく言えば調子に乗りやすい。