憲法が過去となる時、未来の用意はどうするか

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顧問・東京大学名誉教授 平川祐弘

 令和四年の初頭にあたり、平川祐弘の「憂国の思い」を吐露せよ、という長野禮子編集長の御要望である。私は九十歳、そんな年齢の者が人生の「夕刻の思い」を洩らすより、内外の若い人に発言・執筆の機会を与える方が未来志向的と信ずるが、戦前・戦中・戦後の昭和日本を生き、かつ欧・米・亜も多少知る者は、いまや絶滅危惧種に近い。そんな稀少言論人の見方も、あるいは意想外で参考になるやもしれない。そう思い返して、率直に述べさせていただく。
 今日も井ノ頭通り沿いに散歩して、冬の迫る西空を見上げた。七十七年前、中学生の私は見た。B29爆撃機が高度一万メートル、数十機が編隊を組んで帝都に迫って来る。それに日本の戦闘機が体当りして大空に散った。四発のB29は揺れたかに見えたが、なおも飛び続ける。だがテニヤン島の基地までは帰投できず不時着水しただろう。戦死したわが飛行兵は靖国神社に祀られているだろう。敗北に終わった戦いだっただけに、顧みられることが少ない。そのような護国の英霊に私はあらためて感謝したい。幸福な人生を送ることのできたこの身は、果報にすぎて、なにか悪い気さえする。
 
一 敗戦直後の崇高な平和の理想
 そんな時代を生きた私は、平和を希求してやまない一人の日本人である。しかし、まさにそのような体験を経た世代の一人であるからこそ、現行の「平和憲法」で日本の平和が護れるのか、いや、憲法を改正しても護れるのか、という疑念を抱く。
 敗戦直後の日本には恒久平和を念願する強い気持があった。これからのポスト・アトミック・ボムの時代には世界平和は国際連合に任せるのだ、そのように思ったからこそ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように決意した」という現憲法の言葉は、一旦は、それが道理で正しいもののように思われたのである。
 しかし国連は機能不全だった。人間、崇高な平和の美名に騙されてはならない。そんな苛立ちに近い気持を私は覚えることもある。戦勝国側の思惑もあって与えられた「憲法」を「平和憲法」と呼ぶことで、そのお蔭で日本は平和だと思いこむほど、私はお目出度くはない。日本は憲法九条で率先して戦争の放棄を宣言した。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。
 結構な美文である。だが「台風を放棄する」と憲法に書けば、台風は日本に来なくなりますか、と田中美知太郎は問うた。