科学・技術の国家戦略を考えるために
―立国は技術によるしかない―

.

スイス連邦チューリッヒ工科大学サイエンティスト
北海道大学名誉教授 武田 靖

 
 前稿で、明治の開国からの150年の間、日本は2回の立国を果たしたと述べた。最初のそれは明治維新直後からの富国強兵策の実行と実現であり、二度目が第二次世界大戦後の復興であった。それらの立国は技術を使ったものであったが、二度目の立国は、戦後のGHQによるアメリカ式復興策によって、あたかも科学と技術の行政策が功を奏したものと見られている。しかし結局それは科学と技術の本質的な差異を理解しないことによって現在では行き詰まり、多くの難点を露呈することになった。そして、そこからの脱出が成功しない理由も正にその差異を理解しないが故である。それこそが正にアメリカ式である所以でもある。本稿では、その根本にある誤解を解説し、正しい方向へとベクトルの向きを変更することが必要であることを示したい。それは、これから第3の立国を果たそうとするときに、そのベースとなる科学と技術の関係性を整理することが成功へのカギとなると考えるからである。
 
I 科学と技術―その違いは
 我が国では、科学と技術が全く同じものであるという認識は必ずしも一般的にはなされていないが、逆に、異なったものであるという認識もまたはっきりとは持たれていない。それ以上に、日本語ではそれらを合わせた「科学技術」という一語として成立している。このような混同あるいは無分別な使い方は日本語だけで、英語やドイツ語などの西洋語では、科学と技術の間には必ずandやundが入って“Science and Technology”として使われている。特に単語を合体させて一語とする傾向の強いドイツ語であっても、必ずundを入れて分けている。これは科学が生まれたヨーロッパでは特に顕著で、「科学」と「技術」をまとめて1つの語句とすることに心理的に強い拒否反応を示す。他方アメリカではそれらの違いは一切認識されていない。アメリカでは技術の移入は軍事が最大の目的であって、そこでは軍隊用語であるEngineeringと称されて技術が扱われてきた。それは独立直後で科学という哲学的な文化の移入を別途に行う余裕がなかったからであり、その後になってからでも、それらの差異を認識することができない社会の中で、純粋科学と応用科学と呼んで形式的に分離しているにすぎない。そのどちらをも科学と呼び、その文脈で言えばアメリカは技術社会ではない。同時に、構築や獲得に長い時間を要する伝統技術というものも持っていない。
 一般的に科学は16世紀のコペルニクスから始まり、ガリレオやニュートンたちの地球観、自然観の原理確立によって革命的に成立したとされている。