マーク・M・ローエンタール(米国インテリジェンス・安全保障アカデミー会長)は、「政策決定者は死活的利益が脅かされる状況における不作為(第一の選択肢)と、多くの難しい政治的論点を惹起する軍事力の派遣(第二の選択肢)の間に、第三の選択肢(秘密工作)を持つ必要がある」と説き、さらに「秘密工作が好ましい状況とは、核拡散を行う者やテロリスト、麻薬関係者などが絡む状況が発生した場合である」と論じている。つまり秘密工作が必要な状況とは、他の方法で解決し難い、緊急性が問われる状況のことである。
秘密工作は、主に「宣伝工作(プロパガンダ)」「暗殺」「ハニートラップ」「政治工作」「テロ支援」に分けられる。このうち「ハニートラップ」は、元々、旧ソ連KGBの得意とする工作活動であり、女優の卵や売春婦を使って対象となった人物を陥れ、脅迫や懐柔によって協力者として獲得していた。1962年には、イギリス陸軍大臣ジョン・プロヒューモがソ連駐在武官イワノフ大佐と関係する売春婦に機密情報を漏らしたとされる事件(プロヒューモ事件)が発生し、この事件は旧ソ連によるハニートラップの代表的成功例とされた。
日本においても、2004年、在上海日本総領事館員が中国の国家安全部に愛人の存在をネタとしてスパイ協力を強要されたことを苦にして自殺した痛ましい事件が発生している。こうした中国によるハニートラップ事件は、世界的にも多発しており、最近では、米国民主党下院議員のエリック・スワルウェル氏が中国情報機関の女性工作員と親密になり、機密情報の漏洩が疑われる事件が発生した。
本稿においては、まずハニートラップの定義について説明し、次に中国情報機関の情報収集システムや有名なハニートラップ事件について述べる。そして全米を震撼させた「エリック・スワルウェル下院議員事件」について解説する。
さらに中国のハニートラップ事件の代表的事例として、日本における「上海総領事館員自殺事件」、「海上自衛隊上対馬警備所自衛官情報漏洩事件」、「イージス艦情報漏洩事件」、外国における「在上海韓国総領事館外交官情報流出事件」、「中国・華鋭風電技術窃取事件」、「オランダの駐中国大使情報漏洩事件」を取り上げる。
最後にまとめとして、中国のハニートラップ工作に対する心構えと対策について考察する。