国防と和歌に関する一考察

.

研究員 橋本量則

はじめに
 国防を組織や装備、法整備の面から考えることは基本であり、これまでに多くの議論や研究が専門家によってなされてきた。本稿では、これまでとは多少違った視点から国防について考えてみたい。
 その視点とは和歌の視点、つまり国防と和歌は深いところで密接に繋がっているという視点である。突拍子も無い考えだ、歌などで国が守れるものかと思われるかも知れないが、我が国の国歌「君が代」も、かつての国民の愛唱歌「海ゆかば」も、古今和歌集や万葉集に載っている和歌が元になっているという事実を知れば、多少はこの考えに興味を持っていただけるのではないか。
 ここでまず拙論の結論を述べた上で議論を進めていきたい。その結論とは、国民の生命を左右する指導者には物事の本質や人の心を見極める眼が不可欠であるが、日本においてそれは当然日本人の自然観に基づいていなければならず、だからこそ、自然観の表現である和歌に親しむことはその眼力を養う助力となり、結果、国を守る助けとなるのではないか、というものだ。より具体的に言えば、自然観つまり死生観を共有していない者に命じられたままに武人は戦地に赴き命懸けで働けるのか、ということでもある。幸か不幸か、我が国は75年以上、戦う覚悟が不在の国であった。この間に、我々は戦場に赴く同胞の精神をどのように扱うべきか、忘れてしまってはいないか。「捨てて甲斐ある命なりせば」と武人が思える状況にあるか、現状を問い直す契機となれば幸いである。
 
国際関係論の中の文明論
 国を守るのに文化的要素が不可欠だという考えは、筆者がロンドン大学キングス・カレッジで国際安全保障を研究している時にふと思った疑問から筆者なりに辿り着いた答えであることをまず述べておきたい。その疑問とは、どれほど物理的に装備を整え、法整備を進めても、守るべき国民がその文明、文化、言語を失くした場合、これは果たして国を守ったことになるのであろうか、というものであった。勿論、人の生命を守る行為は貴い。だが、人の生命を守る行為であっても、国防と人道主義とでは根本的に意味が異なる。人権思想の根底には国民と他国民の区別があってはならず、人(信徒)は皆同等である、というキリスト教的世界観があるからだ。一方、国防とは、国民つまり家族を守ることがその根底にあり、そこには必然的に絆となるべき価値観の共有が存在する。もしこの価値観が破壊されれば、生命を守る行為が国防とはなり得ず、単に人道主義に該当するだけのものになるのではないか。