私はマルクスをどう学んだか
―「マルクス・レーニン主義」批判に代えて―

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政策提言委員・龍谷大学教授 李 相哲

はじめに
 本題に入る前に明言しておきたい。私はマルクス研究者でもなければ、マルクスの信奉者でもない。「近年MEGA(メガ)と呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』(Marx-Engels-Gesamtausgabe)の刊行が進んでいる」という事実すら私は知らずにいたのだから。これまで人類に最も大きな影響を及ぼした書物とされるカール・マルクス(1918~83)の『資本論』さえも、真剣に読んだことはなかった。正直に言えば、何度も読もうとしたが諦めてしまった。難解な上に自分の学問的な素養の蓄積にも、現実社会の理解にもあまり役に立つとは思わなかったからだ。
 社会主義国家に生まれ育ち、高等教育を受けた私のような、所謂「インテリ」でマルクスを学んだことのない人はいない。私のような社会主義国家育ちの人間は、中学生の時からマルクスを学ぶ。マルクスの難解な弁証法的唯物論や経済学理論、唯物史観をストレートに学ぶわけではないが、中学・高校から単片的に、都合よく中国式に書き換えた毛沢東や中国共産党歴代指導者の語録を通して学ぶ。
 毛沢東が書いた「実践論」の中には、「梨の味を知りたければ、梨を食べて見るがよい」とあるが、何故、こんな当たり前のことを学ばなければならないかと少年時代の私には理解できなかった。ずっと後になって毛沢東の「実践論」は、マルクスの認識(意識)と実践(存在)に関する理論を砕いて、哲学の命題とされる意識が先か、観念が先かの深奥な弁証法的唯物論哲学を一般の中国人にも理解できるように書かれたものだったということが分かった。
 毛沢東が「実践論」を書いたのは1937年、時の中国共産党幹部の間では教条主義、主観主義が蔓延していたので、実践の重要性を強調するためだった。毛沢東は幹部らに大衆の中に入り、現場で問題を発見し、解決策を見出しなさいと発破をかけようとしたのである。
 しかし、このようなマルクス思想を中学、高校生にも注入しようとしたのは、今思えば世界観形成過程にいる世帯が毛沢東の考え通りに思考し、社会主義を擁護するよう洗脳するのが目的だった。
 このような洗脳教育は大学でも続く。中国の大学では専門分野に関係なくマルクスの哲学、経済学理論、唯物史観を体系的に学ばなければならない。結果、私のように後になってマルクスを拒否し、否、拒否しようとする人間でも、その呪縛から抜け出せないようにするためだ。