習近平が「皇帝」になる日

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

北京冬季五輪を終え、今秋、中国はいよいよ共産党の第20回大会を迎える。党大会の最大の関心事は習近平総書記が「2期10年」の慣例を破って3選されるか否かである。同時に、既に2018年の憲法改正によって任期の期限を撤廃している国家主席ポストへの残留に加え「党主席」(無期限)のポストを復活させて自らこれに就任するかにも注目が集まっている。内外メディアはこの可能性が極めて高いことを示唆しており、そうなれば習近平は名実ともに中国の全権力を無期で掌握することになる。「皇帝」の誕生である。
 2012年、習近平は党総書記に就任した際の演説で「中華民族の偉大な復興」を唱えた。昨年7月の党創建100周年記念式典での演説ではこの言葉を18回も繰り返し、これを「中国の夢」として習近平思想の中核に据えることを宣明している。老若を問わず習近平思想をすべての世代に浸透させ、特に学校教育の場でこれを徹底させんとしている。個人崇拝の極致である。また、先の100周年記念式典では「赤い遺伝子の継承」を強調し共産党の一党独裁を更に強化する方針すら示している。去る11月に開催された共産党中央委(6中全会)での「歴史決議」の採択はその極みである。専制国家と独裁者は常にペアであり不離の関係にあるようだ。
 実は中国の歴史を振り返ると同じような様相を呈した時代が何度もある。私は昨年の本誌新年号(Vol.87)で『永楽帝と習近平を隔てる600年の歳月』という表題の小論を寄稿し、この2人の統治スタイルの近似性(専制・独裁、恐怖政治、対外拡張)を論じたことがある。今回はさらに時代を遡って現在の中華人民共和国と紀元前の漢帝国(前漢)を、それぞれ2人の政治指導者像に着目して、比較検討してみたいと思う。
 毛沢東・習近平と劉邦・武帝である。私は「歴史は繰り返す」とは思っていないが、同じような時代状況にあっては物事が同じような展開を示すことがあるとは思っている。いつの時代でも人間がやることにそう変わりはない。こうした比較検討をすることで一見不透明に見える超大国・中国の近未来の展望に光が差し「当たらずとも遠からず」程度の予測が可能になる場合があるのではないか。そのことを期待しながら本稿を書き進めてみたい。
 
劉邦と毛沢東
 先ず、漢帝国の創建者である劉邦と共産中国の建国者・毛沢東の比較から。2人の生い立ちを見ると劉邦は江蘇省、毛沢東は湖南省において、それぞれ庶民家庭の三男として生まれている。