序
前稿では、ヨーロッパにおいて技術から科学が発生し、その科学が技術の発展を促してテクニークからテクノロジーへと発展した流れを示した。そこでは科学と技術の違いを明快にすることで、科学技術と一絡げにしてしまうことが間違いであることを述べた。これらの他にアメリカ発祥であるエンジニアリングと括られるパラダイムもある。それは工学と呼ばれることもあるが、その意味合い、特に技術との違いについて明快に示されることはほとんどない。つまり科学・技術・エンジニアリングという3つの概念が並立している。即ち三つ組―Triadである。
本稿ではこのTriadを解きほぐすことで、これまで世界の技術覇権を握ってきたアメリカの事情を概説する。
I 科学・技術・エンジニアリングという三つ組―Triad
エンジニアという用語は語源的にはラテン語のingeniumに繋がると言われているが、現在のヨーロッパの英語以外の言語にはエンジニアリングEngineeringという意味合いで使われる言葉はなく、どの言語でもそのままの外来語としてエンジニアリングを使っている。それはアメリカでは工兵隊という軍隊用語として使われ、特に第二次世界大戦前後からである。アメリカへの科学と技術の移入実態は、農業への応用の他に、独立戦争や南北戦争のための軍事目的であったことが大きい。その後に電気エネルギーの利用という第二次産業革命や、飛行機開発といった大きな発展があったが、あくまでアメリカンドリームを実現するための手段であって、哲学や文化といった意味合いの自然科学は追及されなかった。つまりヨーロッパで成立した科学と技術といった近代科学の成果をそのまま取り入れることはなく、その後、科学とエンジニアリング(工学)という建付けで発展した。どちらにしても、エンジニアリングというのはアメリカの文化であって、ヨーロッパのものではない。従って上述の三つ組を敢えて理解すれば、科学と技術というヨーロッパ文化と科学とエンジニアリング=工学というアメリカ文化とに腑分けすることができる。
では日本ではどうだったか。明治の開国後に成された最初の立国には、ヨーロッパの科学と技術の移入が成功した。但し日本への移入では技術の採用に特筆すべきものがあった。それは橋や道路などのインフラ整備の重要性が認識されて、そのための工部大学校が最初に用意され、東京帝国大学の設立時には、科学を担当する理学部とその工部大学校を工学部として組み込み、きちんと科学と技術の違いを認識した制度を用意したことである。