ウクライナで仕掛けるロシアのハイブリッド戦

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政策提言委員・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員 藤谷昌敏

 本稿を書いている3月1日現在、(ロシア軍は2月24日)ウクライナに軍事侵攻を開始して首都キエフを目指し、それに対抗して欧米が経済制裁を繰り返すなど今後の情勢は極めて不透明となっている。
 このウクライナへの軍事侵攻の発端は2014年のクリミア危機にまで遡る。当時、ロシアは、クリミア半島に空挺部隊第45独立新鋭特殊任務連隊や第3特殊任務旅団(スペツナズ)などの特殊部隊を展開し、完全武装した親ロシア派一般市民、コサック義勇兵などを参加させた。ロシア軍はウクライナの通信網を遮断して、ウクライナ政府・軍を混乱させたほか、官庁などを占拠し、サイバー攻撃やフェイクニュースなどの偽情報の流布、SNSを利用した世論操作などを行った。軍事と非軍事を組み合わせた、所謂、ハイブリッド戦争である。
 ハイブリッド戦争が特に注目され始めたのは、このクリミア危機からである。この紛争において、ロシアはほぼ無血でクリミアを占領・併合した。そもそもハイブリッド戦争(hybrid warfare)とは、正規戦、非正規戦、サイバー戦、情報戦などを組み合わせた戦略であり、2013年、ロシアの参謀総長バレリー・ゲラシモフが発表したものである。これはゲラシモフ・ドクトリンと言われ、「21世紀の戦争のルールは大幅に変更されており、政治的、戦略的目標の達成のためには、非軍事的手段が軍事力行使よりはるかに有効である」と主張する。
 本稿では、ロシアとウクライナの対立の経緯、ウクライナ東部のハイブリッド戦の実態を述べてみたい。
 
1.ウクライナ危機の経緯
a.ソ連崩壊と東欧諸国のNATO加盟
 戦後、米ソは対立を深め、1949年4月、米国と西欧諸国が北大西洋条約機構(NATO)を結成した。ソ連はこれに対抗して、東欧諸国の共産党と共産党政権をまとめて1955年に「ワルシャワ条約機構」という軍事同盟を作り、欧州はこれにより東西両勢力に二分された。そして米ソは冷戦時代に突入する。米ソは科学技術でも対決し、ソ連は1954年に水爆実験を成功させ、1957年には初の大陸間弾道弾を打ち上げた。その2ヵ月後には人工衛星「スプートニク」の打ち上げにも成功し、米国にスプートニクショックを与えた。その後、米ソ冷戦は、1959年の「キューバ革命」、1962年10月の「キューバ危機」で核戦争の一歩手前まで行くほど緊張の度合いを強めた。
 1991年、軍事費の負担が一因となり、ソ連経済は大きく衰退し、ソ連は1991年12月に崩壊した。