はじめに
尊敬してやまなかった安倍晋三元総理が暴漢の凶弾に斃れてから瞬く間に2ヵ月余が過ぎました。「安倍元総理銃撃さる」との衝撃の第一報を参院選応援の最中に受けて以来、時が止まったような感覚に襲われています。呆然自失とはまさしく今の心境です。途轍もない喪失感をどうしようもありません。安倍総理との思い出は尽きませんが、20 年近くも党派を超えてご指導をいただいたこと、熱心に自民党入りを勧めていただいたこと、そしていよいよ自民入党のその日に、党本部でわざわざ私をお迎えして下さった温かいご厚情に心から感動し感謝しております。そして、何よりも、岡崎久彦元駐タイ大使とJR 東海の葛西敬之会長(当時)が作って下さった外交研究会の場で、安倍総理とご一緒させていただいたことは、私にとり至福の思い出です。
その安倍総理のご葬儀における昭恵夫人の喪主挨拶に、私はさらなる衝撃を受けました。吉田松陰の遺書ともいうべき『留魂録』の有名なくだりが引用されていたからです。
《 10 歳には 10 歳の春夏秋冬があり、20 歳には20 歳の春夏秋冬、50 歳には50 歳の春夏秋冬があります。父・晋太郎さんは首相目前に倒れたが、67歳の春夏秋冬があったと思います。
主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後冬を迎えた。種をいっぱい蒔いているので、それが芽吹くことでしょう。》
松陰が自らの死を覚悟して門弟のために著したのが『留魂録』です。昭恵夫人は、その覚悟の書の一節を引いて、畳の上でなく街頭演説中に斃れた安倍総理に語り掛けたのです。その上で、最後の一言は、「蒔いた種を芽吹かせるのは皆さんです」と後進の私たちに向かって覚悟を迫ったように感じました。そして、この度、その種をいつどのように芽吹かせるのか、というテーマで原稿を書くよう長野禮子さんから迫られたのです。
憲法改正と安全保障法制の改革の種
1. 戦後レジームからの脱却
安倍総理が蒔いた種は無数にありますが、私はその中から憲法改正と安全保障法制の抜本改革を芽吹かせたいと密かに決意するものです。何故なら、それこそが安倍総理が政治生命を賭して取り組まれた「戦後レジームからの脱却」そのものだからです。
その意味で、ロシアによるウクライナ侵略は、私たち日本人を戦後の長く深い眠りから覚醒させる歴史的な大事変でありました。