はじめに
安倍晋三元総理が銃撃されるという一報を私は地元三島での参議院選挙戦最後の街頭演説の直前に知りました。あの衝撃を私は生涯忘れることはありません。昨年の衆議院選挙戦を前に安倍元総理に挨拶に行った際、体調を壊して総理を辞任された後の最も厳しい選挙で最大の得票で復活した経験を話してくださいました。あの時、私は次の総選挙をダブルスコアで勝って自民党に入ろうと決意しました。
選挙を誰よりも大切にしていた安倍元総理が選挙演説中に凶弾に斃れるとは、その衝撃とショックに未だ言葉が見つかりません。
選挙戦の最終盤の街頭演説というのは民主主義の最も大切な場面です。民主主義の根幹を揺るがす許しがたい政治テロであり、負の歴史として刻まれる蛮行です。時計の針は元には戻りませんが、残された我々政治家は要人の警備体制の強化、ネットを利用して銃を作れる環境を改めるなどの対応を急がなければなりません。
8月6日、7日に行われた日本戦略研究フォーラム主催の台湾海峡危機政策シミュレーションにおいては、安倍元総理に冒頭でご挨拶を頂くことが予定されていました。参加した全ての議員と専門家は、安倍元総理の遺影を前に無念の思いと「安倍元総理の我が国の安全保障で果たされたご功績に報いる」との決意を胸にシミュレーションに臨みました。
安倍元総理の最大の功績は数多くありますが、中でも2015年に安保法制の制定はその最たるものと言えます。シミュレーションにおいて台湾海峡危機が現実のものとなった時、安倍元総理が総理役を任じた小野寺五典衆議院議員は『存立危機事態』を認定しました。安倍政権が制定した安保法制により集団的自衛権を行使する事態として導入させたものです。シミュレーションでは時を同じくして尖閣有事が発生します。
安倍元総理の「台湾有事は日本有事」とのご発言はまさに慧眼でした。それはシミュレーションの統裁部長をお務めになった岩田清文元陸上幕僚長が再三にわたって指摘してこられたことでもあります。
曲がり角となった2015年の安保国会
2015年の安保国会を私は民主党の政調会長として迎えました。しかし、安保法制を検討するための安保調査会が新たにつくられ、安保調査会長は政調会長と同列とされたため、私は安保法案を所管することができなくなりました。
政府案が提出される中で民主党内の議論は遅々として進みませんでした。最低限、尖閣諸島、できれば朝鮮有事に対応する民主党案をつくらなければ、政府案に反対するだけで終わってしまうと感じていました