安倍元総理は、戦後体制から続く我が国の問題点を強く認識し、「戦後レジームからの脱却」という日本国家としての改革目標を唱え、率先して改革に挑んできた。特に安全保障面における歴史的な改革は、日本のみならず米国からも極めて高い評価を得ている。また常に自衛隊最高指揮官としての立場を自覚され、自衛隊員一人ひとりを大事に思ってこられた総理はいない。安倍元総理の逝去という日本国家の大損失により、憲法改正を始めとする、まさに戦後レジームからの脱却が足踏みをすることになるかと思うと、悔しさがさらに込み上げてくる。
しかし、いつまでも悲しんでいるほど、日本が直面している安全保障環境は甘くない。安倍元総理が認識されていた本物の危機意識に立ち、残された我々が、安倍元総理の遺志を、今後日本が進むべき羅針盤として位置付け、引き継いでいくことこそが、今求められていると認識すべきであろう。
自分の国は自分で守る
安倍元総理は2013年、戦後レジームからの脱却の重要性を、その著書『新しい国へ』(文春新書)の中で次のように述べている。
《こうして日本が抱える課題を列挙してみると、拉致問題のみならず、領土問題、日米関係、あるいはTTPのような経済問題さえ、その根っこはひとつのように思えます。すなわち日本国民の生命と財産および日本の領土は、日本国政府が自らの手で守るという明確な意識のないまま、問題を先送りにし、経済的豊かさを享受してきたツケではないでしょうか。まさに「戦後レジームからの脱却」が日本にとって最大のテーマであることは、私が前回総理を務めていた5年前と何も変わっていないのです。》
その戦後体制(レジーム)とは、吉田ドクトリンに代表される、武力行使を制限された日本国憲法の中で、安全保障の多くを米国に依存し、日本自らは経済成長と経済発展を最優先課題とした軽武装・経済外交に基づく体制と言えよう。吉田元総理の狙いは、戦争で荒廃した日本の経済復興を最重視し、その間の日本防衛を米国に担わせることにあった。確かにこの方針により、日本は安い軍事費で平和と安定を享受しながら奇跡的な経済復興を遂げ、世界第3位の経済大国としての地位を回復することができたことは事実であるが、一方で自分の国は自分で守るという国家の基本を疎かにしてきたことも事実である。吉田元総理はその晩年には憲法改正による国軍の保持を主張しており、この主張通りになっていれば、安倍元総理の苦闘も少なかったのかも知れないが、安倍元総理ほど、自らが先頭に立って憲法改正の具体化に努力した総理はいない。