羅針盤なき日本の未来
―今後の日本の安全保障

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顧問・前統合幕僚長 河野克俊

はじめに
 本年7月8日の昼前に奈良の近鉄西大寺駅前で選挙応援中の安倍元総理(以後安倍総理という)が凶弾に倒れた。命だけは取り留めてもらいたいとの願いも空しくご逝去された。まさに心の空白をどのように埋めるかさえ思い浮かばない状況だった。
 
硫黄島での出来事
 海上幕僚長時代の2013年4月、首相に返り咲かれた安倍総理を硫黄島にお迎えした。ご承知の通り硫黄島は日米の激戦地となった場所であり、後に安倍総理は米国議会での演説の中でも硫黄島の戦いを取り上げられた。その硫黄島で安倍総理をお迎えした時の印象は鮮烈だった。安倍総理は視察を終えて航空機に乗り込む際、いきなり滑走路に跪ひざまずかれ、手を合わせて、頭こうべを垂れられたのである。報道陣は先行して次の視察地である父島に既に向かっていたので、パフォーマンスでも何でもない。私も含め随行者は誰一人予期していない行動だった。滑走路の下にも日米の将兵のご遺骨が埋まっていることをご存じだった。心底、戦没者に対する哀悼の念の深い方だった。このお姿を見て、私は、安倍総理にとって靖国参拝は正真正銘の心の問題であり、政治ではないのだと確信した。
 
安倍元総理の目指す自衛隊
 統合幕僚長になってからは、基本的に週1回は自衛隊の動きについて総理に直接報告するようになった。それまで制服組が官邸に頻繁に出入りする光景などあり得なかった。従来、日本では戦前の軍の独走という経験をしていることから、シビリアン・コントロールとは自衛隊を極力政治から遠ざけることだとの考え方が主流だった。しかし、安倍総理は逆で政治と自衛隊の距離を詰めることが、真のシビリアン・コントロールを確立する上で不可欠だと考えられていた。
 「戦後レジームからの脱却」という大きな理想を抱きながら、そこに至るまでは徹底した現実主義者だった。例えば憲法9条への自衛隊明記を掲げたが、本心は自衛隊に軍隊としての確たる地位を確立させたかったはずだ。集団的自衛権の“限定的”行使然り、慰安婦問題を巡る日韓合意然り、8月15日の総理談話然りである。ある意味で妥協だが、状況を1歩でも理想に近付けるにはどうすればよいかを考え、決断されていた。
 安倍総理の安全保障政策面での功績は、やはり「安全保障法制」の制定であろう。この法律は、新法、自衛隊法等の改正がパッケージになったものであり、非常に複雑なものであるが、日米安全保障体制という観点からは次の2点である。1つは存立危機事態だ。