安倍戦略を引き継ぎ全体主義と闘え

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産経新聞客員論説委員 湯浅博

 中国共産党が日本に対して抱く警戒心は、三国志にいう「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という事態なのではないか。安倍晋三元首相の蒔いた種が芽吹いて岸田文雄政権を動かし、習近平国家主席が地団駄を踏むという構図に当たる。
 実際に岸田政権が推進する「自由で開かれたインド太平洋」戦略も、安全保障の枠組みである日米豪印4ヵ国戦略対話(クアッド)も、そして国際公約となった防衛費の国内総生産(GDP)比2%以上の目標も、安倍が誘導した地政学的ビジョンであった。いずれも中国の拡張主義を制御しようとする抑止戦略に繋がる。
 中国はこの安倍ビジョンを断ち切るために、日本の内側では護憲派をたきつけ、外側からは軍事的な圧力を強めて岸田政権を揺さぶるだろう。安倍元首相は志半ばで「冬を迎えた」が、岸田政権は、彼が蒔いた安全保障の種を芽吹かせていく重い責務がある。
 
軽武装・経済優先の戦後レジーム
 米欧から見て岸田外交は、安倍が描いた地政学ビジョンを巧みに演じているように見えるだろう。岸田首相は先進7ヵ国首脳会議(G7)はもとより、この6月の北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に史上初めて参加して世界の注目を浴びた。首相が送るメッセージは、「今日のウクライナは、明日の東アジアかもしれない」という象徴的な言葉であり、対中抑止への決意が読み取れた。
 それが岸田首相の言う「新時代のリアリズム」であるのなら、日本は自由、法の支配、民主主義の普遍的な価値を推進し、言葉だけでなく実際の力と行動で中国の動きを封じ込めなければならない。国際教養大学助教のユ・ファ・チェン氏は、岸田のリアリズムは「原因というよりむしろ結果であり、日本の国家アイデンティティの根本的な変化の結果」であると見ている。そのきっかけとなる転換とは、「2010年初頭に安倍政権の時代に起きた」と位置付ける(National Interest 8/24/2022)。
 戦後日本の国家アイデンティティは、米国占領期に形作られた「吉田ドクトリン」として括られる戦後レジームにある。吉田茂首相は戦後復興期を乗り切るために、日本を軽武装・経済中心主義の路線を選択する。米国が保障する日米安保条約に乗ることは、日本の地位を貶めはしても経済的には悪い取引ではなかった。
 1957(昭和32)年発足の岸信介首相は、これを打ち破る憲法改正を目指したが、吉田茂の薫陶を受けた池田勇人や佐藤栄作ら主流派に「憲法は定着している」と反対され、日米安保改定だけに絞らざるを得なかった。