安倍氏の遺産
―ワシントンからの視点―

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特別顧問・元米国務省日本部長 ケビン・メア

強いリーダーシップ
 2011年8月、拙著『決断できない日本(原題:The Japan that Canʼt Decide)』(文春新書)が日本で出版された。
 私は菅直人首相率いる民主党政権を厳しく批判していたが、それは同政権が東日本大震災、津波被害、そして福島第一原発の事故に対して時宜を得た決定的な判断を下す能力を欠いていたからである。
 また私は菅氏とその前任の鳩山氏に対して、日本が直面し強大化しつつある脅威や、日本の安全保障にとっての日米同盟の重要性、日本が防衛能力を向上する必要性などについて、彼らが国民に説明しようとしなかったことでも批判的であった。彼らは、これが日本の国益のためにも、そして日本がより重要な同盟国となり、国際安全保障に多大な貢献をする国となるためにも必要であることを理解していないようだった。
 はっきり言えば、日本政府が国家安全保障を率直に扱おうとしないことへの私の批判は、民主党政権に限ったものではなかった。批判はそれ以前の自民党政権にも向けられていた。長年、日本は米国の後ろに立つことに満足し、国内的にも国際的にも国家安全保障政策に関して、ゆっくりとした前進しか成しえなかった。地域の脅威に対するリーダーシップを欠いていたからだ。
 これは、2002年から2012年までの11年間、続けて防衛予算が削減されてきたことを見れば一目瞭然である。日本において防衛政策の議論は屡々神学論争の性質を帯び、憲法第9条の枠内でどう言葉を定義するか考えをめぐらすばかりで、地域の脅威から国を守るために日本が何をするべきかに心を注ぐことはなかった。
 2012年12月に安倍晋三氏が再び首相に就任してから、事態は変わり始めた。安倍首相が理解していたことで最も重要なことの1つは、日本の遅いコンセンサスの形成・意思決定のプロセスと縦割りの官僚機構を克服し、さらに指導力を発揮するための国家安全保障会議(NSC)の必要性であった。米国はこれを歓迎した。何故なら、日本のNSCは日本の首相官邸の中で初めて米国の国家安全保障会議のカウンターパートとなったからである。
 過去数年私が東京で行った議論に基づけば、どうやら指導的地位にある日本の官僚達もこれを歓迎しているのではないか。彼らは、省益よりも日本の未来のために働いているのではないかと感じ始めた。また、首相官邸が国家安全保障政策のリーダーシップを発揮することは斬新なことだと理解した。