歴史の分水嶺としての「脱亜入欧」

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顧問・東京大学名誉教授 平川祐弘

第一部 第二次世界大戦の歴史認識
・民主主義対ファシズムの戦争という史観はどこまで真実か
 本日はシンポジウム「歴史の分水嶺に立つ日本」にお招きいただき光栄に存じます。
 私はこの席で第二次大戦を少年として体験した数少ない一人となりました。まずその戦争に際し、世間が唱え、戦後の歴史教科書に書き込まれた、第二次大戦は、民主主義対ファシズムの戦争という見方はどこまで正しいか、正しくないか、その吟味から始めさせていだきます。
 一九四一年、米英は中露と組んで独日伊と戦い、その戦争を民主主義国家対ファシズム国家の争いdemocracy versus fascism と規定して、大宣伝をいたしました。その見方は戦争中の連合国の間ではもとより、戦後の日本でその見方をそのまま岩波新書で鼓吹(こすい)した方には都留重人(つるしげと)氏などもおられました。東京裁判で多数派判事が判決の前提としたのもその見方であります。しかし実態は「敵の敵は味方」という関係であって、米英は中露と共に「連合国」となっただけの関係でありまして、そんな連合を拵えたところがルーズベルト大統領のしたたかさでありました。過去の大戦が民主主義対ファシズムという歴史認識はフィクションもいいところでありますが、戦後日本の歴史学界が左翼的だったことも手伝って、戦後日本は戦勝国側のその見方に従いました。
 
・自由を認める国と認めない国
 二〇二二年現在、露中二大国は独裁専制の二大軍事大国でありまして、我々も直接間接に脅威を感じておりますが、ロシアや中国がかつて民主主義国であったとは言い難い。スターリンやそれ以後のソ連も、一九四九年以後の毛沢東の中国も、人民民主主義国と称しましたが、それは米英のデモクラシーとは正反対の性格の、共産党一党支配の独裁専制国家でありましたし、いまもほぼ同性質のままでございます。
 しかるに第二次戦中と戦争直後のプロパガンダは、その戦争を民主主義対ファシズムの戦争と決めつけ、その見方はまま戦勝国を中心とする多くの国の歴史教科書に印刷され、それが国際的にも、また日本人の記憶にも、そのままインプットされました。第二次大戦は民主主義対ファシズムの戦争というのが国際的に正解となり、わが国の受験秀才の中には社会に出た後もそうした歴史認識を口になさる方がございます。外務次官になられた方の中にもそうした解答を口にする「模範秀才」がおられました。
 しかし民主主義国の連合と言っても、個人の自由を尊重する民主国米英と自由を一向に認めない人民民主国の中露とでは、国の性格が正反対でございます。