以前、本季報に「地球儀を俯瞰する外交の現場で考えたこと」というタイトルの拙稿を掲載した(令和2年1月号)。当時、「地球儀を俯瞰する外交」は安倍政権の外交の主要な柱であったものの、それほど注目されず、寧ろ、集団自衛権行使に関心が集まっていたことから、もう1つの柱の「積極的平和主義」の方が話題になることが多かったように記憶している。しかし、令和4年7月に安倍晋三元総理がテロリストの凶弾に倒れてからは、「地球儀を俯瞰する外交」という言葉を新聞、雑誌、テレビなどで目にすることが多くなった。元総理の数々の外交上の実績の象徴というべきものであり、当然であろう。
以下では、故安倍元総理が残された外交面の膨大な遺産について、筆者が外交の現場で目の当たりにしたところを振り返りながら考えたい。
尚、本稿では内政問題としての「国葬問題」には踏み込まないが、外交官OBとして一言コメントさせて頂きたい。日本のメディア報道がワンパターンで「G7首脳は参加せず」とばかり報じたことには強い違和感を覚えた。現在我が国にとって最重要の外交の場である日米豪印(Quad)からはインドのモディ首相、米国のハリス副大統領及び豪州のアルバニージー首相が揃った(豪州は、ア首相のほか3人の元首相も参列)ほか、中東、アジア等の伝統的友好国のトップが多数参加したことをどう考えるのか。中国に近いとされるカンボジア、スリランカ、キューバなどの首脳が出席したことは殆ど報じられなかったが、親中の国々の「本音」を知る上で興味深かった。そもそも、今回の国葬儀に世界がそっぽを向いたかのごとく報じるのは、出席した218の国、地域、国際機関の代表に非礼極まりないことだったのではないか。
1.「西側の一員」から「地球儀を俯瞰する外交」まで
安倍外交の最大の成果は日本が「一人前のグローバルパワーとしての地位を取り戻した」ことであった(2022年7月14日付英エコノミスト誌)。その土台となったのが「地球儀を俯瞰する外交」だ。ここに至るまでの経緯を筆者が在米大使館に勤務していた40年前の米ソ冷戦時代まで振り返って考えてみたい。
筆者がワシントンに着任した直後の1983年5月に、米国バージニア州ウィリアムズバーグでG7サミットが開催された。レーガン大統領がホスト役をつとめ、日本から中曽根総理が出席したが、同サミットを機に米国の同盟国としての地位を確かなものとした。「西側の一員」という言葉も意識的に使われるようになった。