海洋国家への歴史の教訓
―地政学の視点から―

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研究員 橋本量則

 現在の米中新冷戦の原因は、1990年代の米中蜜月時代に遡る。東西冷戦の終結後、米国が経済的パートナーに選んだのは、当時世界第二の経済大国の同盟国・日本ではなく、中国であった。自由民主主義と資本主義を掲げる米国が、一党独裁の共産主義国である中国を経済的パートナーに選んだことで、現在の「怪物」的な中国を生み出してしまったと言える。戦略的に見てこれは明らかに米国の誤りであった。だが、実は米国による同様の誤りはこれで2度目であり、歴史は繰り返されたことになる。
 最初の米国の誤りとは何か。1920、30年代の米中接近である。これが第二次大戦の真の勝者はスターリンと毛沢東だと言える状況、つまり共産勢力・大陸勢力の伸長をもたらした1つの要因である。ただ、当時誤りを犯したのは米国だけでなく、日本や英国についても言えることであった。
 本稿では、旧冷戦の原因ともなった、米国、英国、日本という3大海洋国家が犯した誤りについて、地政学的、歴史的観点から述べてみたい。
 
東西冷戦―大陸国家VS海洋国家
 米国は第二次世界大戦にも東西冷戦にも勝利しており、その戦略的「誤り」について見過ごされがちだ。そもそも米国を中心とする資本主義陣営が冷戦でソ連に勝利できたのは、1970、80年代に西側の経済力が飛躍的に拡大した一方で、東側の経済が危機的なほど低迷したためである。軍事力―兵器の研究開発と生産―を支えるには経済力が必要であり、経済が停滞すれば国防は覚束なくなる。これは現在の日本を見れば明らかだろう。つまり、経済の低迷により共産陣営の運命は決まった。
 だが、それ以前は必ずしも西側が優勢というわけではなかった。寧ろ、冷戦当初、勢いがあったのは共産主義陣営の方であり、アジア・東欧・中南米への共産主義・社会主義の拡大に西側は危機感を募らせていた。何故このような事態に至ったのか。その原因こそが米国の戦略的誤り―1920年代から戦後まで続いた米中接近・蜜月―であった。
 何故当時の米中接近が戦略的誤りであったかを説明する前に、ここで思考を一旦切り替え、冷戦のイデオロギー対立の構図を地政学的な対立の構図に置き換えてみたい。「自由(資本)主義」と「共産(社会)主義」の対立構造を、そのまま「海洋国家」と「大陸国家」の対立構造に置き換えるのである。
 「自由主義国家=海洋国家」「共産主義国家=大陸国家」という構図が果たして妥当なのかと疑問に思う人もいるだろうが、歴史を見れば明らかである。