国家安保戦略を「日本の第三の自己変革」のはじまりに

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参議院議員 松川るい

1.「第三の自己変革」
 日本は自己の生存のために何度か自己変革をしてきた歴史がある。
 最初は663年の白村江(はくすきのえ)の戦いをきっかけにした自己変革である。倭・百済連合軍は唐・新羅連合軍と戦い、大敗した。大敗した後、日本が何をしたか。「倭」から「日本」と国名を改め、律令制を整えて中央集権化を進め、そして、九州に日本防衛のための「防人」を置いた。因みに、唐との関係改善にも取り組んだ。謂わば、中央集権体制と国防に初めて国として取り組んだ。
 第2の自己変革は、1868年の明治維新である。植民地化の波が目の前の中国にまで押し寄せている中、鎖国政策を大転換して開国、近代化を進め「富国強兵」に邁進した。
 1945年の第二次世界大戦における敗戦とその後の占領政策が、『平和憲法』、『自衛隊の有り様』、『日米安保条約体制』、『自虐史観』など、現在の日本を特徴付ける歴史的変化をもたらしたことは事実だが、これは謂わば押し付けられた変化が多く、日本が自ら選んだ自己変革と位置付けるのは自分としては少々憚られる。評価できるのは日米同盟ぐらいだからだ。
 そして、昨年末に閣議決定した国家安保戦略他安保3文書は、日本の「第三の自己変革」の始まりとなり得るのではないか、いやそうしなければならないと考える。故安倍元総理は「戦後レジームからの脱却」と呼んだが、敗戦により強制された一定の制約の中でそれを受容しながら発展と生存の道を探ってきたのが戦後の日本であるとすれば、大きくそれを転換する必要が生じている。「自分の国を自分で守る」姿勢を明確にした防衛力の強化はその第1歩だ。
 
2.「危機の時代」
 昨年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵略により、軍事力行使のハードルが下がり、核の威嚇の有効性も明らかになった。米中対立で既に悪化していた国際協調体制に止とどめを刺した感がある。各国とも改めて侵略の危機に対処するため自国防衛に乗り出している。単なる軍事的危機というのみならず食料安全保障やエネルギー安全保障の重要性も改めて各国とも気付かされた。自由貿易より安心のサプライチェーンや資源確保が重要という考えが浸透しつつある。
 中国は、習近平国家主席が独裁に近い権力体制を整えた。バーンズ新CIA長官の指摘によれば、中国の習金平国家首席は、2027年までに台湾侵攻を成功させるための準備を行うよう軍に指示している。