ロシア・ウクライナ関係史から読み解く「ウクライナ戦争の真実」

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 ヨーロッパで良く知られたジョークに「世界で最も薄い本が2冊ある。1つはドイツ人のジョークに関する本で、もう1つはベルギーの歴史に関する本である。」というものがある。前者は堅物で知られるドイツ人気質を皮肉ったもので、後者は1830年に独立したベルギーという国の歴史の短さを揶揄したものである。確かに良くできたジョークだが、少なくともベルギーの歴史に関する後者の部分は正確ではない。ヨーロッパの国々で最短の歴史というのであればそれは1991年に独立したウクライナでなければならない。勿論、ウクライナの人々に言わせれば、過去に「キエフ大公国」という国家が存在し歴史は9世紀にまで遡ることが出来る、ということになるが、ロシア人にとってこの大公国はロシア史の前史時代を象徴する最も重要な存在であり、そもそも極く最近までウクライナという「独立国家」は歴史上存在しなかった、ということになる。
 何とも子供の喧嘩じみた話だが、ことはロシア正教誕生の歴史(後述する)とも絡むためロシア・ウクライナ双方にとって一歩も譲ることのできない機微な問題なのである。
 ところで、日本の国歌は「君が代」で天皇制の国体を賛辞する歌だが、ウクライナの国歌は「ウクライナは滅びず」という独立希求の革命歌である。19世紀の半ば、ロシア帝国に併合されていた中でウクライナ・ナショナリズムが高揚し始めた時代、民族学者の手になる詩に感動した教会の司祭が曲を付けたものだという。その歌詞は「ウクライナの栄光も自由も未だ死なず 若き兄弟たちよ運命はきっと我らに微笑むだろう 我らの敵は日の下の露の如く滅びるだろう 兄弟たちよ我らは我らの地を治めよう」で始まる。
 350年近くに亘ってロシア・ソ連の支配下にあったウクライナの人々の民族自決への熱い思いが伝わってくる歌であり、現在の時代状況にこれほど相応しい歌はない。
 昨年2月にロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始し、既に1年以上に亘って本格的な戦闘が続き、戦況は泥沼化して解決の糸口すら見えない。ロシアのプーチン大統領にとってウクライナは「ロシアの一地方(辺境の地)」であらねばならず、ウクライナにとっては艱難辛苦の歴史を辿った末に30年ほど前にやっと独立国として生まれた祖国の存立をかけた戦いであり負けるわけにはいかない。
 本稿ではこうしたロシア・ウクライナ関係史をたどりつつウクライナ戦争の背景とその歴史的な意味合いを考え、今後のある得べき展開(戦争終結へのシナリオ)に思いを馳せてみたい。