現在を鏡にして「歴史を学ぶ」
―ウクライナ侵攻と戦争犯罪―

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国際日本文化研究センター教授 牛村 圭

「歴史に学ぶ」から「歴史を学ぶ」へ
 世上「歴史に・学ぶ」と言う。現下生じている事態の理解を深めるために、あるいは将来への指針を立てるために、過去の類似の出来事を参照する、または範とする姿勢のこと、とまとめてよいだろう。「歴史は繰り返す」とも言うのだから、過去を鏡にして現状を把握し適切な対応を取るようにせよ、という助言でもある。だが、それとは時系列を反対とする考え方もあるのではないか。つまり、現在を鏡として「歴史を・学ぶ」という姿勢であり、現在生起していることを目の当たりすると、遠い昔の史実の理解が深まるということもあるのだろう、と痛感するに至っている。そういう思いを抱く契機となったのは、ロシアによるウクライナ侵攻という出来事に他ならない。
 
「戦争犯罪」=「戦争は犯罪である」なのか
 「戦争犯罪(war crimes)」という語がある。本年2月下旬のある日、昼の時間帯の情報番組でウクライナ侵攻を取り上げる企画中、MCが「戦争犯罪って言うけれど、戦争それ自体が犯罪という気がしますけどね~」というふうなことを口にしていた。もちろんこの理解は正しくはない。「戦争犯罪」とは、戦争が犯罪であるという意味ではなく、「戦争に関わる法規に違反した行為」と定義できる語だからである。戦後日本は戦争とは無縁の平和な日々を享受してきた。そのためもあってか、今から7年前の安全保障関連法案の成立と施行(平成28(2016)年3月29日)に至るまでの論戦の場では、同法案賛成派反対派双方に「戦争は悪である」という共通の議論の前提・認識の存在が見てとれた。そして、平和な日常をおくっていれば、平和の対極にある戦争は悪にとどまらず、犯罪と見なしたくなるのも無理はないのかもしれない。
 だが語義は正確に把握しなければいけない。「戦争に関わる法規に違反した行為」を意味する「戦争犯罪」の語が存在することから明らかなように、すべての戦争が犯罪というのでは毛頭ない。ウクライナ侵攻の現状をより正しく把握するためにも、「戦争犯罪」の語義を確認することが必要だろう。戦争に関わる国際法規として「ハーグ陸戦法規」(1899年)や「ジュネーヴ条約」(1929年)等が存在する。そこには、通常兵器ではない毒ガスのような化学兵器使用の禁止、軍事施設ではない住宅地等への爆撃の禁止、戦闘員ではない一般住民殺傷の禁止、さらに戦時捕虜(PWO:prisoners of war)保護の義務、が明記されている。
 こういう諸点への違反が「戦争犯罪」を構成する。