東アジアの安全保障に大きな影響を与える朝鮮統一
―統一には膨大なコストが―

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政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷昌敏

 韓国と北朝鮮は国家の正統性を巡って建国以来の敵対関係にあるが、朝鮮半島が分断されている現状は戦後体制が未だに終焉していない証左であろう。一民族一国家という近代国家の基本原則に則れば、分断されたままの朝鮮半島は、いびつな存在でしかない。両国は、朝鮮半島が1つの国家の下に統一されることを最終目標としている点では一致しているものの、背後に控える大国の思惑や地政学的な要求により簡単な解決策はない。
 元々、第二次世界大戦終結時、戦勝国によって、ベトナム、朝鮮半島は南北に、ドイツは東西に分断された。ベトナムとドイツは、既に統一を果たしたが、朝鮮半島は未だに北の朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)に、南は大韓民国(以下、韓国)に分断されたままだ。因みに我が国も終戦時、ソビエト連邦が北方4島と北海道占領計画を持ち出し、米国も米、英、ソ連、中華民国の戦勝国による分割統治案を検討した。しかし、結局は、日本占領は分割占領でなく連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本国政府を介した間接統治方式となった。
 戦後体制の残された課題となった朝鮮統一は、政治体制の違いもあるが、経済的にも南北の格差は大きく、実際に統一される時の南北朝鮮の統一のコストはどのような形態を取ろうと膨大なものとなると推定されている。
 本稿では、朝鮮半島の分断理由、その経緯について説明し、南北朝鮮統一の問題点を抽出し、東西ドイツの統一と比較して分析する。最後に朝鮮統一の可能性について考察する。
 
1.なぜ朝鮮半島は分断されたのか
 8,500万人という膨大な犠牲者を生んだ第二次世界大戦が1945年8月15日に終結した。米国は、敗北した日本にいち早く乗り込み、GHQが旧軍の解散、財閥解体、農地改革など一連の民主化政策を強行した。
 これに先立つ1943年7月28日、米国務省対外政策諮問委員会極東班のジョージ・H・ブレイクスリー(George Hubbard Blakeslee)は、領土小委員会(PWC territorial group)に「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」(General Principles Applicable to the Post-War Settlement with Japan:T-357)という文書を報告した。
 この文書では、日本の領土について、満州を含む全軍事占領地、及び民族自決の原則から朝鮮と台湾からの撤退が主張されていた。