はじめに
戦争とは軍事力による国家間の闘争であり、集団を形成するようになる有史以来、人類が繰り返してきたものである。そして、最も原始的かつ暴力的な国際紛争の解決手段である。戦争状態に至ると、国家は、それまでの経済システムを、所謂「戦時経済体制」にシフトするのが常である。
「戦時経済体制」とは、「近現代の戦争において、国家が戦争の継続と勝利を最優先の目標とし、その達成のために政治・経済・社会など各種の政策を行う」ことをいう。原初的には、人間が家族単位の生活から集団生活に移行するようになると、人口の増加による食糧や水の確保が最優先の課題となり、動物の捕獲や植物の収集により、集団の勢力圏が拡大し、集団同士の争いが惹起する。各集団は、戦闘の準備のために食糧の備蓄や供給網を確保するほか、本来、狩猟のための道具が人を殺傷するための武器として製作・集積されるようになり、ここに極めて初歩的な戦時経済体制が確立する。明確に世界史の中に戦時経済体制が生まれたのは、フランス革命であると言われ、軍需物資の生産体制の拡大のために史上初の国家総動員体制が構築されて、国民の組織化と動員が図られた。日本では、第二次世界大戦において、1933年の国家総動員法制定、1940年の大政翼賛会、大日本産業報国会の結成により、戦時経済体制が構築された。これにより、航空機、戦車、軍艦などの兵器の大量生産体制が図られたが、インフラの未整備、生産施設の近代化の遅れ、生産工具の不足、生産工程の混乱、熟練工の徴兵などにより、戦時下の経済政策としては決して成功したとは言えなかった。しかし、戦後の経済政策を見ると、戦前の経済統制の手法が踏襲され、財閥企業の復活、企業ガバナンス、商慣習などにおいて日本独特のシステムが継承された。これが戦後の日本の経済復興の大きな成功要素となったことは確かである。
一方、第二次世界大戦終結後も、米ソ冷戦(1945~1989年、核兵器を保有する米ソが対立し世界的影響を与えた)、朝鮮戦争(1950~1953年、朝鮮半島の統一を巡り米ソ中が戦った戦争、南北朝鮮分裂が確定)、ベトナム戦争(1954~1975年、南北ベトナムの統一を巡り、米国と南ベトナムが北ベトナムとベトナム民主共和国と戦った戦争)、中東戦争(1948~1979年、ユダヤ人国家イスラエルの建国に伴い、周辺のアラブ諸国との間で発生。第1次~第4次まで戦争状態となり、その後もガザ地区侵攻などが続く)、この他、多くの戦争が欧州、アジア、アフリカなど世界各地で繰り広げられた。