最近、内外の報道やオピニオン誌でよく目にするのは、「グローバル・サウス」という言葉だ。報道のみならず、政府関係者の発言の中でも頻繁に出てくる。この用語をよく見かけるようになったのは、2023 年に入ってから、特に1 月の「グローバル・サウスの声サミット」(インドがオンラインで主催、11 月に2 回目を開催)と5 月のG7 広島サミット以来であるが、今や外交分野の流行語となり、内外のメインストリーム・メディアにも受け入れられるに至っている。また、その中でBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)とその拡大が注目を集めている。長年外交に関わった者としてこのような流れに少なからず懸念を覚える。
I あまりにもアバウトな「グローバル・サウス」という言葉
21 世紀の国際社会の現実を反映していない?
「グローバル・サウス」という言葉に違和感を覚えるのは筆者だけだろうか。多くの内外の外交プロも同様に感じているようだ。それでも至る所で「グローバル・サウス」とか「GS」の文字を目にするのは、使い易いからだろう。何故使い易いかというと、「新興国、開発途上国、中進国等々」(即ち「先進国以外」)を一見当たり障りなく簡潔に表現できるからなのではないか。筆者は多様性のある世界の国々を一括りにするその粗雑さが気になる。もし、「グローバル・サウス」という発想で外交を進めれば、却って、国際社会の中の混乱、対立を煽り、ひいてはそれが中国やロシアを利する恐れさえあると考える。因みに、元国連事務次長の赤阪清隆氏も「あいまいな言葉だけに、融通無碍な使い方ができる便利な言葉ではあるが、使い方次第では落とし穴に警戒も必要だ。」と指摘している(「グローバル・サウスという言葉に惑わされてはいけない。」 一般社団法人霞関会(kasumigasekikai.or.jp))。
ここで個人的な体験を紹介したい。1974 年に、第三次国連海洋法会議の日本代表団の応援要員として南米ベネズエラのカラカスに派遣された時のことだ。そこで目の当たりにしたのは、国際社会の南北対立そのものだった。アフリカ、中南米、アジア太平洋などからは独立を達成して日の浅い国々を含め多数の代表団が参加し、「国際社会の弱者」の立場から様々な主張を行っていた。「第三世界」、「非同盟」、「G77」という言葉が飛び交い「南」対「北」の構図を見せつけられた。日本を始め先進国(「北の国」)の大半は公海の自由を重んじて領海12海里を主張し、「南の国」の多くは「弱者」に対して海洋資源へのアクセスを確保すべく200 海里を主張した。海洋法以外の分野でも新独立国が国連専門機関やGATT(関税及び貿易に関する一般協定。WTO の前身)などに次々と加盟して南の国が国際機関で多数を占めるようになり、先進国の提案をブロックしたり、独自の案を出したりすることが多くなったことは周知の通りだ。「グローバル・サウス」という言葉を聞くと、そういう南北対立の時代を思い浮かべてしまうのは筆者だけだろうか。
21 世紀に入ると「新興国」という言葉を目にすることが多くなった。特にBRICS(~後述)に注目が集まり、これら諸国が新興国の代表選手と見做されるようになった。即ち、新興国とは、BRICSをはじめとする、潜在力、成長力が高い国を指すようになり、一般の開発途上国と区別する概念となった。それ以外にも
中進国や中間国といった分類も存在する。近時、これら諸国をまとめて「グローバル・サウス」と呼んでいるわけだが、政治、経済、外交等様々な面で大きく異なる諸国(1 人当たりのGDP が数百ドルから先進国並みの国)を一緒にするのには無理がある。
それでは、何故「グローバル・サウス」と呼ぶのか。