日本という国の「贅沢」
日本という国が、国際的に比較しても極めて恵まれた立場にあることはいうまでもない。歴史的には1 つの王朝が支配的な権威を持ち、時代ごとに権力者は権威と権力を分離することで、日本という国の連続性を保ってきた。このため、政治環境の変化に合わせて日本の国の形を正当化する必要はなく、日本人は社会の歴史的な連続性を無自覚に受け入れ、当然のものと理解してきた。
ただ、明治維新が日本の国際政策をめぐる政治変動の側面があったことから分かるように、存立に関わる事態を前に、政治的対立を先鋭化させても、日本はある意味で合理的な選択を繰り返してきた。近年の研究では、日本の過去の政変の背景には、東アジアの秩序変動が関係していることが指摘されており、日本社会は国際潮流の変化を読むことに長けている面もあるのだろう。
日本はユーラシア大陸の東縁に位置する島嶼国であり、東南方面には太平洋が広がっている。つまり地政学的には海洋国家であり、大陸との間に朝鮮半島を挟む地理的な位置関係は、他国の侵略を防止し、独自の文化を育てるには絶好の位置関係にあった。そのことは、所謂、安全保障をめぐる思考にも影響しており、国土が山がちで狭隘なことにも助けられ、他から隔離される安全(絶対的な安全)の希求と、脅威は常に「外来」であるとの認識を持つようになった。つまり、安全保障の面では、日本はかなり恵まれた環境にあった。冷戦期以降、日本の安全保障政策は米国の影響を深く受けているが、米国の世界戦略において日本の地理的特性と経済社会面での能力は、計算可能で不可欠なものとして扱われてきた。米国との同盟関係が日本の軍国主義復活を抑える「瓶の蓋」なのか、それとも地域の平和と安定の「公共財」であるかは立場によって評価が異なるが、いずれにせよ米国が、有形無形な形で日本の国際的地位を担保してきたことは否定できないであろう。
見通せた将来と対応
太平洋戦争の敗戦後、日本が復興するために持っていた唯一の方法が、米国との同盟関係であったのは言うまでもない。独立に際しても、米国との関係に最大限配慮する必要があった。日本の安全保障を、領土防衛(自衛隊が役割を担う)と地域の安定(極東部分について在日米軍が役割を担う)に分け、自身は外征を行わないと宣言したのは、日本が国際社会に復帰するためには必要不可欠な措置だったのだろう。