去る1 月末にインド北部のアヨーディヤにラーマ生誕寺院が再建され、モディ首相の主宰でその落成式典が盛大に挙行された。建設費は220 百万ドルの巨費に上る。アヨーディヤはヒンドゥー教徒にとって聖地の1 つとされ、16 世紀の初めにムガール帝国の初代皇帝バーブルによって破壊されイスラム教寺院に建て替えられるまでラーマ生誕寺院が存在した。ラーマとはインド二大叙事詩の1 つ『ラーマーヤナ』の主人公であるラーマ王子のことで、ヒンドゥー教の神様(ヴィシュヌ神の化身)の1 人である。1980年代からヒンドゥー教の狂信的な団体が破壊された寺院の再建運動を進め、1992年には同地のイスラム教のモスク(寺院)を破壊したため、イスラム教徒との間に2 千人を超す死者を出す大騒動に発展している。2014 年にモディ首相率いるヒンドゥー教至上主義のインド人民党(BJP)政権が誕生すると、インド国内各地(特に北西部)でヒンドゥー教徒によるイスラム教徒への迫害事案が頻発しており、かつての「インド世俗主義(政教分離)」の面影は急速に失われつつある。本稿ではこうしたインド社会の変化を歴史的に辿り、モディ政権の動静に焦点を当てつつ今後のインドの行方を垣間見てみたい。
ヒンドゥー教・イスラム教相克の歴史
ヒンドゥー教は世界で最も古く誕生した宗教の1 つとされる。仏教やキリスト教、イスラム教よりはるかに古く、紀元前1500 年近く前まで遡れるらしい。アーリア人がインド亜大陸北西部に侵入し、インダス文明を滅ぼした時代のことである。アーリア人の集団の中には多くのシャーマン(祈祷師)がおり、物事の吉凶を占い、先祖供養から現世御利益まで祈祷することを生業としていた。徹底した祭祀主義で、神に祈る呪文はやがて「ヴェーダ」と呼ばれる聖典(詩文集)に纏められていく。彼らシャーマンはやがて家業となり職業集団を形成して強力な特権階級となる。これがバラモンであり、「ヴェーダの宗教」はバラモン教と呼ばれるようになる。アーリア人の定住化が進み先住民との接触機会が増えたことで身分を差別するカースト制度もこの頃に生まれる。
紀元前8 世紀頃になるとバラモンの専横への反発が強まり、宗教改革運動が起こる。世界(宇宙)観・人生観を純粋な宗教理論として深めようとする動きであり、これらの総体が「ウパニシャッド哲学」(その根幹思想が「梵我一如」)である。