今、国際政治の世界で、フランスの歴史学者マルク・ブロックの著作が改めて注目されている。それは、ロシアによるウクライナ侵攻が一段と激しさを増す中で、この事態が欧州全域の安全保障にもたらす深刻な影響について域内各国の政治エリートたちが十分な脅威認識を持たず、ロシアへの対応に優柔不断かつ微温的な姿勢を取り続けていることと関係する。マルク・ブロックは1940 年にフランスがナチス・ドイツによって占領されようとしている中で「戦間中のエリートたちがナチスの脅威に真剣に向き合わず自己満足に陥っていたことが今日の悲劇をもたらした」と強いエリート批判の声を上げた。彼は、53 歳の高齢をおして出征、フランス降伏後はレジスタンスに身を投じ、1944 年にドイツ軍に捕縛・銃殺されている。マルク・ブロックはストラスブール大学の教授で、中世史の専門家であったが、同時代の政治についても多くの著作を残した。日本語に翻訳されているものも多い。
上記の政治エリート批判は晩年の著作となった『奇妙な敗北 1940 年の証言』の中に書き残されたものだが、2024 年になってフランスのマクロン大統領が公の場で何度かマルク・ブロックの言葉を引用し、現在の欧州情勢に強い警鐘を鳴らし始めたことで俄かに注目が集まることになった。確かに1930 年代後期と2020 年代前期の欧州情勢には不気味な類似性がある。今、欧州はどのような状況にあり、トランプ再選の「悪夢」にどのように備えようとしているのか。
本稿では6 月の欧州議会選挙の結果や各種公開情報をもとに、現代欧州の政治状況把握と問題点の解析を試みてみたい。
マクロン変貌の背景
2024 年に入りフランスのマクロン大統領の過激とも言える発言がヨーロッパの政治に激震をもたらしている。公式会見の場で「ウクライナにフランス軍の地上部隊を派遣する可能性を排除しない」と言ったかと思えば、ソルボンヌ大学で行った講演では「ヨーロッパは崩壊の危機に瀕している」と断じて内外を驚かせた。去る5 月末の訪独時の記者会見の席上ではウクライナに欧米から供与された兵器によるロシア領内の軍事拠点攻撃を容認すべきとの見解も明らかにしている。つい2 年ほど前には何度かモスクワを訪問してプーチン大統領と会談を重ね、ウクライナの和平に向けてイニシアティブを発揮していた「穏健派マクロン」のイメージは完全に消え失せ、今や対ロ強硬派の代表格になっている。つい先日は他の欧州諸国に先駆けてウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟に賛成の意向まで表明した。