今年1 月の日本共産党第29 回党大会で一番目立ったことは何だったか。松竹伸幸氏の除名再審査請求を却下したことも話題になっているが、私は新たに中央委員会議長に就任した志位和夫氏が、やたらと自画自賛を繰り返していることが際立っていると思う。これは90 歳を過ぎても常任幹部会委員として居座り、影響力を行使してきた不破哲三氏が、全ての役職から降りて、文字通り引退したことも関係しているのかも知れない。
宮本顕治、不破哲三を凌駕したというのか
まず一例を挙げよう。2 月6 日に行なった全国都道府県委員長会議で志位氏は次のように語った。これまで「11 回の党大会の決議案の作成に関わってきました。そういう経験に照らしても、私は、今回の党大会決定ほど、多面的で豊かで充実した決定はそうはない、と言っても過言ではないと思います」というのだ。
「赤旗」記事ではこの項には「社会科学の文献」という見出しが付いている。
この会議では田村智子委員長が、まず「問題提起」を行い、志位氏が会議途中で発言するというやり方で行なわれた。田村委員長は、その発言の中で「今回の党大会決定は、非常に内容の充実したまさに歴史的決定であり、綱領路線をふまえ、それを発展させた社会科学の文献です」と述べていた。志位氏と打ち合わせ済みの表現なのだろう。だがそもそも「社会科学」とはどういう学問で、何を指しているのか。『広辞苑』によれば、「社会現象を対象とし、実証的方法によって研究する科学の総称。政治学・法律学・経済学・社会学・歴史学・文化人類学・地域研究及びその他の関係諸科学を含む」とある。これだけでは実に漠としたものに過ぎない。
政党が幅広い「社会科学の分野」に関わることは当然のことだが、その分析が正しいか否かは別問題である。「社会科学の文献」というのは、実は何も言っていないのと同じである。
共産党は「科学的社会主義を理論的な基礎とする」ことを党規約に明記している。科学的という言葉が大好きなのだ。共産党や共産党員にとって、この言葉を付けて物事を語れば正しいということになるという、まるで魔法のような言葉なのだ。不破哲三氏は、これを「科学の目」と呼んだ。だが不破氏流の「科学の目」や志位氏の科学的分析は、しょっちゅう見通しや評価を間違った。中国に対する評価やベネズエラのチャベス政権への評価はその最たるものであった。これについては次章で詳述する。