シンガポール陥落 英国のナラティブを検証する

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研究員 橋本量則

はじめに
  現在の日英「準同盟」関係は、次期戦闘機の共同開発を通じて将来的に正式な「同盟」関係になることが考えられる。地政学的には、ユーラシア大陸の両端に位置する海洋国家同士の同盟は望ましい限りだ。
  だが、来年戦後80 年を迎えようとしている今日でも、日英の間には「歴史の棘」と呼ぶべき歴史問題が存在する。英国民の間では今でも、第二次世界大戦で日本軍の捕虜となった兵士たちの声、その家族たちの声が大きな力を持っている。確かに当時、連合軍の捕虜たちは過酷な体験をした。だが、それが全て日本軍の責任なのか、日本軍が意図的に捕虜たちを苦しめたのかと言えば、そうではない。筆者はこの捕虜の問題を研究してきたが、国民文化の違い、食文化の違い、軍隊内の文化の違い、当時世界を支配していた西洋・白人優越主義とそれへの反発など様々な因子が複雑に絡み合った結果が、あの捕虜たちの苦難であった。
  戦後80 年間、日本はこのことを研究し発信することを怠ってきた。それ故に、当時英軍の将兵の間で作り上げられていったナラティブがそのまま歴史的「真実」として定着してしまった。当然、そのナラティブの中には英軍にとって不都合な事実は含まれない。では、不都合な事実を取り除いたために生じた穴を何が埋めているのか。それは日本軍が行ったとされる「蛮行」と日本軍をそれに駆り立てた日本民族の「残虐性」ということになる。
  本稿では、英軍内で作り上げられたナラティブを検証し、英軍や捕虜にとっての不都合な事実とはどんなものであったか明らかにしたい。これは英国を非難することを目的にするものではなく、日本軍の「蛮行」とされてきたものが実際にはどのようなものであったかを客観的に検証することで、日本軍の「残虐性」に関する行き過ぎたイメージを見直す契機を提供することを目的とするものである。真の和解はこのような議論を通して互いを理解することなしには得られないと考え、筆者が続けてきた研究の一部をご紹介したい。
  英軍の捕虜たちが日本軍の「残虐性」を語る時、捕虜の虐待や市民を含む非戦闘員の殺傷といった「残虐行為」が語られることが殆どだが、中でも、泰緬鉄道建設時の捕虜虐待、シンガポール侵攻時の「アレクサンドラ病院虐殺事件」、そしてシンガポール陥落後の「華僑粛清事件」がよく取り上げられる。
  本稿では「アレクサンドラ病院虐殺事件」と「華僑粛清事件」に焦点を当ててみたい。これらは、シンガポールで日本軍の捕虜となった英国の将兵が対日イメージを形作る上で少なからぬ影響を与えた事件だからだ。