いま「国体」を考える

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上席研究員・皇學館大学准教授 村上政俊

  只今ご紹介に与りました村上と申します。JFSS では上席研究員を務めております。
  本日のテーマについては、長野事務局長から、日本の歴史的な観点から繙き、改めて「日本の矜持」について考えてほしいとのリクエストをいただきました。国難に当たって我が国の本質を見極める必要があるということで、「日本の国体」を軸に考えてみたいと思います。
  先ほど小野寺大臣から三正面というお話がありましたが、我が国は現在、中国、ロシア、北朝鮮という独裁体制との競争に晒され対峙しているわけであります。何故我々はそういった競争に備えて、勝ち抜かなければならないのかを考える必要があります。三島由紀夫の「国体」論
  ここで参考になるのが、三島由紀夫の議論です。三島が最期を遂げた市ヶ谷の地で彼の言葉を引くことは、大変意義深いことだと思います。
  三島は「文化防衛論」の中で、「何故我々は共産主義に反対するのか」という問いを立て、それに対し「我々の国体、即ち、文化、歴史、伝統と絶対に相容れず、論理的に天皇の御存在と相容れないからであり、しかも天皇は歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴だからである」と述べています。
  これは現代にも当て嵌まる考えであり、我々と独裁体制は絶対にこの国柄、国体が相容れないからこそ競争し、対峙しなければならないということだと思います。実は同じような考え方はトランプ政権の時にも示されていたように思います。2020 年7 月に当時のポンペオ国務長官は、レーガン図書館で中国について演説を行いました。その中で注目すべきだったのは、中国の共産主義の本質を殊更に取り上げて批判していたということです。ただ単に個別の分野において競争するのではないと。本質において相容れないという点を取り上げたことは特筆に値します。第二次トランプ政権が来年1月に発足するかも知れません。予断を持つものではありませんが、先頃私は本日後援の産経新聞に「もしトラという病を恐れる日本」と題して寄稿しました。こういった点も注目する必要があるのではないかと思います。
  三島のいう国体とは何かを考えるに当たって、明治の元勲・伊藤博文の『憲法義解』を繙いてみます。明治憲法の半ば公的な注釈書である同書には、憲法1 条についてこのような解説があります。