「前門の熊、後門の虎」 バルト三国に対する 中国の諜報活動・工作

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研究員 増永真悟

前門の熊・ロシア、後門の虎・中国
 1990 年代のソ連からの独立回復後、エストニア・ラトビア・リトアニアからなるバルト三国の安全保障上の最大の脅威はソ連の後に誕生したロシアであった。独立回復後もそれぞれの国内にはロシア軍が駐屯を継続しており撤退交渉が行われたが、ロシア側は三国に残るロシア系住民が迫害されているとして、彼らの保護を名目に駐屯引き延ばしを図ってきた。しかし、ロシア軍撤退交渉が進まない事に業を煮やしたアメリカがロシアへの経済援助一時停止を仄めかし、最終的に93~94 年にかけて三国からのロシア軍完全撤退が実現した。このことによりロシア側のこうした姿勢は三国から不信感を買う結果となった。バルト三国のロシアへの不信・警戒心を更に高めたのが2014 年に起きたロシアによるクリミア併合、そして22 年にロシアの侵攻によって開戦したウクライナ戦争である。
  このように近隣で侵略を繰り返すロシアに対するバルト三国の警戒心は分かりやすい。ただ、バルト三国にとって前門の熊であるロシアに対し、後門の虎である中国は長年、警戒対象になって来なかった。筆者は2013 年から15 年にかけてエストニアの大学院で修士課程の学生として学んだが、北大西洋条約機構(NATO)を通じた、エストニア最大の同盟国であるアメリカが当時のオバマ政権の下で、中国との対立を避けて同国をアメリカの経済成長に取り込むという「アジア基軸戦略」(Pivot to Asia)を打ち出していた事もあり、エストニアにおける中国の印象は良かった。ロシアによるクリミア併合の直後でも、中国が暴走するロシアのブレーキ役になってくれるのではないかという見方もエストニア人の間で強かった。しかし、約10 年後の現在、そうはならなかった。
もう1 つの独裁国家中国に対する甘い認識
  まず、バルト三国における中国のイメージについて取り上げたい。これについては、2022 年夏にリトアニアの独立系シンクタンク「東欧研究所」(EESC)が発表したバルト三国における中国の影響工作に関する報告書に掲載された、三国それぞれで行った世論調査の結果が参考になる。
  中でも興味深いのは、「台湾は中国の一部である」と「台湾を支援する事は自国に何ら経済的利益をもたらす事は無く、従って中国と良好な経済関係を維持する事に比べれば重要度は低い」という2 つの質問だ。前者の「台湾は中国の一部である」という質問に対し、エストニアのロシア系住民は賛成32%・反対53%、民族エストニア人は賛成7%・反対23% であった。ラトビアではロシア系のうち29% が賛成し、47% が反対、民族ラトビア人は賛成16%・反対34%。リトアニアではロシア系が賛成24%・反対50%、民族リトアニア人が賛成22%・反対44% であった。