長野禮子
「防衛庁」から「防衛省」となって10年、我が国周辺の安全保障環境は年々厳しさを増し、殊に中国の挑発が続く尖閣諸島、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対する政府の取り組みに国民の関心は高まるばかりである。
白書ではこうした現状を新たな段階の脅威と位置付け、内容も表現も昨年に比べ更に「強い表現」になっていると、青柳審議官は説明する。
巻頭特集1では、省移行後の10年間の歩みとして、安全保障、災害派遣、PKO派遣、国際緊急援助活動などが紹介され、特集2では、防衛この1年として、中国の領海侵入に対する警戒監視や領空侵犯措置、米国トランプ政権との日米同盟の強化、南スーダンのPKO活動終了、そして特集3では、女性自衛官の活躍、特集4では、「平和を仕事にする」自衛隊の多岐に亘る活動が紹介されている。(巻頭資料は下記の通り)
戦後70年余、実現しなかった憲法改正(9条、自衛隊明記等)への機運は高まりつつあるかに見えたが、それを阻止する反対派の「闇雲」なまでの安倍政権攻撃によって、また決断の時が遠のいた。マスコミは真実を伝え、政治家はそれを吟味し、現実に沿う安保体制を実現してこそ、「国家、国民の命と財産、名誉を守る」ことではないのか。
現在日本が置かれている状況は、公的には「平時であるとの認識」と青柳審議官は言う。これは防衛省の「必要以上に国民を混乱させてはいけない」という配慮なのかも知れないが、目に見えない化学兵器や生物兵器への対応が日本はどこまで進んでいるのか。日本攻撃の手を緩めることなく、益々拡大し続ける中国、北朝鮮の暴挙に振り回されている国家で居続けることは最早できないとする国民の苛立ちも聞こえてくる。
年々踏み込んだ言葉とその実践に期待するものの、人類の軍事、科学技術の発展により、「20世紀の戦争」の域をはるかに超えた21世紀の軍事力に対するプロ集団による総合的な戦略、備えなしに国民の安寧はない。
戦後のアレルギーから覚醒するチャンスは正に「今」だと捉えるべきではなかろうか。
《巻頭資料》
1、わが国を取り巻く安全保障環境
2、わが国の安全保障・防衛政策と日米同盟
3、国民の生命・財産と領土・領海・領空を守り抜くための取組