「日本の紙幣の肖像に見る対中歴史観」
―日銀に新たなセクションを―

.

会長・政治評論家 屋山太郎

 2025年から紙幣がそっくり変わる。新札になる前のお札は1万円札が福沢諭吉で、その前は聖徳太子であった。5千円札も初代が聖徳太子で次が新渡戸稲造、樋口一葉と繋いだ。初代の千円札は位が最高だったから聖徳太子から始まって、伊藤博文、夏目漱石、野口英世と続いた。
 どの人物も日本人が誇りとするような人たちばかりだが、殊の外誇らしいのは必ず医者が一人加わっていることだ。今回も野口英世、北里柴三郎と引き継いでいて嬉しい。
 これまでのお札の人物の中で、私が密かに注視してきたのが聖徳太子と福沢諭吉である。聖徳太子の中国観といえば「日出るところの天子、日没するところの天子に書をいたす・・・」と隋の煬帝に厳しい手紙を送った。7世紀初頭、既に中国は日本が子分になって当然と、でかい態度だったらしい。怒った煬帝が日本を攻めてくるのではないかと、九州の先端に石垣を組み、都を攻めにくい奈良に移した。まさに臨戦態勢である。
 このあと日本史の中で「中国に気をつけよ」と警鐘を鳴らしたのは福沢諭吉である。当時孫文が大アジア圏主義を称え、日本でも黄色人種がまず団結すべきだとの民族論も激しかった。福沢の不動の持論は「天は人の上に人を造らず」だった。
 中国は東アジアの大親分を気取り、弱小国は奉仕するのが当然と考えていた。一帯一路などという発想は「世界は我に奉仕せよ」の典型だ。
 この中国について平川祐弘東大名誉教授と雑談をしていたら、話は「日銀」の中に“歴史部”みたいな部署があるんですかねぇ」と問う。この一問で質問の趣旨はわかった。お札の中に政治的意思の強い人を混ぜておき、時にこれを見れば政治の方向を日本人に反省させるのである。そのために誰がいいかを精魂込めて考える部署があるはずだ。
 聖徳太子と福沢諭吉の中国観はともに「用心せよ」というものだろう。日中関係がぎこちなくなった時、これまでの関係だと日本側からそれらしき挨拶を繰り返した。
 安倍内閣の初頭、安倍氏は中国の歴史的傾向を読み取って、2、3年知らんぷりを決め込んだ。中国側は2025とか2050の政策を喋ってみるが、それでも日本が尾を振ることはない。芝居はうまくいかなかった。戦後、日中外交がうまくいかなかったのは「中国への罪意識」が強すぎて対中土下座外交を繰り返したからだ。
 天安門事件で中国は若者を何百、何千と殺して鎮圧した。世界の評価はベタ下りなのに、日本は頼まれて今上陛下(昭仁天皇)の公式訪問を承諾した。中国はそれをきっかけに世界へ羽ばたいたのである。
 次のお札には外交を密かに見張る人物が存在しているのか。日銀に新たな「セクション」を設けてもらいたい。
(平成31年4月17日付静岡新聞『論壇』より転載)