憲法を改正することは国民の権利であり、同時に義務である。票稼ぎにはなりにくいこの仕事を日本の政治家と国民は決定的に怠って来た。時代は刻々と変化しており、この変化に対応して法律の改定を行うのが立法府の責任である。この作業を行うのに憲法をも改定する必要がでてくる場合も少なくない。日本はこれをやらずに法制局が得意とする無理な法解釈でお茶を濁してきた。怠慢の極みである。
実際いくつかの先進国が経験してきた改憲の実績をみると、日本の改憲経験ゼロが如何に異常であるかが分かる。アメリカ(憲法制定年1787〜現在1992までに)18回、11.4年に1回、フランス(同1958〜1999)11回、3.7年に1回、オーストラリア(同1901〜1988)8回、10.9年に1回、ドイツ(同1949〜1998)46回、1,1年に1回、スイス(同1874〜1997)132回、0.9年に1回などである1)4)。
1793年のフランスの権利宣言では「人民は常に憲法を再検討し、改革し、変更する権利を有する。一つの世代は、将来の世代を、その法に従わせることはできない」とし、同じ憲法を数世代に亘って継続させることの非道徳性を指摘している2)。また、1907年に改定された「ハーグ陸戦条約」第43条では、占領地の法律の尊重を規定している。即ち、「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は絶対的な支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保するため、施し得べき一切の手段を尽くすべし」とし、占領国は被占領国の法律に勝手に手を着けることを禁止している。民主主義国家であればいつの時代でも、国民は自分達がいいと思う政治制度を選んで生活すべきことは言うまでも無い。今の護憲論者のように絶対改憲を許さない、子々孫々まで守って行けという乱暴な発言が許されるわけがない2)。
先日たちあがれ日本・参議院議員の片山虎之助氏が参議院の存在意義について主客転倒したこんな発言をしていた。「参議院は無くてもかまわないが、なくすためには憲法を改正しなければならないので現実性がない」。政治は憲法を守るために行っているとでも思っているのであろうか。片山氏の如きベテラン議員にしてこんな非常識な発言をしており、国会議員のやる気のなさと知性のなさが読みとれる。
私たち日本人にとり、もともと憲法はなじみの薄いものだった。大日本帝国憲法は典型的な欽定憲法であり、君主により与えられたものであった。その後の所謂新憲法は、日本を占領していた国連軍のGHQが起案し、あたかも日本政府が起案したかのごときプロセスを経て日本政府から公布されたものである。被占領国に占領国が憲法を押しつけてはならないという先述のハーグ陸戦条約を連合国は十分承知しており、ドイツの場合はこのような無謀なことはしなかった。これから国は新しくなるという予感を持った敗戦国の私たち庶民にとっては、憲法はなにやら有難いものであり、お祭りに配られる紅白饅頭のようなものであった。発布時に小学生であった私は、その有難い憲法なるものの内容について殆ど知らなかったし、知ろうとも思わなかった。
国の成立過程で、例えば独立戦争の場合ように、国民が多大な努力をして目的を達成し、やっとの思いで心に描いてきた国家観を熱い思いで描きだしたものが憲法の緒論になるのが一般である2)。ところがどうだ、日本国憲法の前文には、日本国民の将来への思いではなく、連合国側が日本に「こうあるべし」と思い描く姿が描かれている。このような前提を含んで前文を読むと文章はそれほど不自然ではなくなる。曰く、「日本国民は…..平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われわれは、平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う…….」。連合国は日本をそのような国に作り上げたかったわけである。
GHQとしても日本が独立を果たした暁には当然この与えられた憲法を改正するものと期待していた5)。それにも拘わらず日本政府は、日本国民は、もともと興味のないものは有難く神棚へ祭りあげて、ひたすら経済発展に努めてきた。しかし、経済発展も蔭りが見られ、気がつくと国の体制の欠点が目立ち始めた。もう待ったなしで憲法を改め、ふんどしを締め直して再出発をする時が来ている。法制局の言葉遊びに付き合っている時間はない。東北大震災の津波がそのことを教えてくれたように思える。
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