中西輝政著、「アメリカの不運、日本の不幸」―民意と政権交代が国を滅ぼす―幻冬舎、2010初版を読んだ。中西氏の著作は、世界各地の文明史を背景に現代を読み解く場合が多く、主張には読者をなるほどと思わせるものが多い。日米安保条約の重要性を指摘するまでもなく、日本にとり最も重要な同盟国はアメリカであり、出来ればその国民性を十分理解しておきたい国である。
しかし、これまでの私のアメリカの印象は「アメリカは分かった様で分からない国」であった。このため、日本の政治家や政治評論家の一部が、対米依存保守にどっぷりと浸かり、のんきな毎日を過ごしていては日本が危ないのではないかと常々思ってきた。
確か1972年頃のことだったと記憶するが、周恩来とキッシンジャーとが結んだと云われる「日本に核武装させないようにお互いに努力しましょう」という密約を平然と取り交わすのも、アメリカの一面なのである。
民主主義の権化のような口調で世界の民主化を指導してきたアメリカだが、公民権法により人種差別を禁止したのはつい昨日の1964年であった。また、未だに一般人の銃の所持が合法的な州もあり、私達にとっては理解しにくい国である。先住民を野生動物のように気安く殺戮し、その空き地に世界各地から移住してきた人々を歓迎した。多様な人種構成が要因になっているのか、これもアメリカ、あれもアメリカと、外交のやり方も多様であり、時に豹変するアメリカは多重人格の国か?と思わせる面もある。
中西氏のこの本の最後の章、「日本人が知らないアメリカの見方―三つの誕生と四つのアメリカ―」を読んで、アメリカの多様性は地域ごとに異なる移民がそれぞれの土地で優先エコタイプとなり、しかも全体の優先種は時間の経過とともに変遷して行くために、「あれ!アメリカってそんな国だったっけ?」とキョトンとさせられる場合が少なくないのも当然なのかもしれない。
「四つのアメリカ」とは、アメリカ内の四つの植民地コロニーの誕生に由来するものらしい。それらは、
1、第一のアメリカ
ワシントンDCがあるヴァージニア州を中心にしたコロニーから出発したエコタイプである。ロンドン近辺の所謂オールド・イングランドからの入植者から成る。オックスフォード大学で表徴されるジェントルマン的かつ保守的な気風を特色とする。
2、第二のアメリカ
ボストンやケンブリッジがあるマサチューセッツ州を中心にしたコロニーから出発したエコタイプである。ピューリタンが多い東イングランドからの入植者が多い。イギリスのケンブリッジ大学で表徴される野党的、ピューリタン的な気風を特色とする。宗教的な使命感と理想主義的な雰囲気を漂わせるアメリカの発祥地である。
3、第三のアメリカ
ニューヨークがあるニューヨーク州を中心にしたコロニーから出発したエコタイプである。マッカーサー、ベーブルース、モンロー、マクドナルド、ウオール街など、アメリカというと先ずイメージする我々に身近なあのアメリカである。コスモポリタニズム、或いはグローバリゼーションのメッカと言える物質主義的な人々であり、人種や宗教には極めて寛容である。「寛容と金儲け」をモットーとするプラグマティズムを信奉する。ユダヤ人から有色人種まで、世界のあらゆる人間が最も抵抗なく生活できる地域らしい。
4、第四のアメリカ
ヴァージニアより南に位置するサウス・カロライナやジョージア州を中心にしたコロニーからから出発したエコタイプである。「荒々しいアメリカ」「激しいアメリカ」と表現できるらしい。古くは奴隷の反乱に悩まされ、現代ではヒスパニックの反乱に悩まされている。スコットランド系の荒っぽいプロテスタント移民が多い。常に銃で武装し、西部劇的な風土とリンチを日常とする風土を築き、フロンティア精神に富む。物事を単純至極に捉え、敵を見つけ、ひたむきに自分の道を頑固に貫こうとするアメリカ人であるという。ブッシュ前大統領がテキサス男であり、第四のアメリカ人に属すると言ったら、なるほどと理解する人は少なくないだろう。
さて、人の移動が自由なアメリカでは、エコタイプは常に相互に混ざり合い、特色を失ってゆくのが生物の特性だと思えるのだが、私が懸念するのは混ざり合った結果、人の性格が融和されるのではなく、その時々で表面に出る特性が順次変化するような、所謂、多重人格的な現れ方をするような国であるとすれば、恐ろしいなと思うのである。
実際のアメリカは、考え方があまりにも違いすぎる人達とは生活圏を共有したくないとする人々が増えているらしい。所謂、Gated Communityが増えているらしい。また、1と2のタイプのアメリカ人は、ヒスパニックの繁殖力に恐れを感じて未来を悲観している人が増えているともいう。このことから推量するに、共和党VS民主党といったおおまかな分類では分類しきれない多様な人々が、順次政権トップの椅子に座るため、外側から見るとアメリカはあたかも多重人格のように思えるが、実は椅子に座る人が次々と代わっているに過ぎないというのが実情ではないかと思い、安心することにしている。
我が日本が殆ど単独の民族から成ることが如何に有難いことかを感謝するとともに、日米安全保障に過度に頼ることの危険性を以前にも増して感ずるようになった。
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